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自画像 1904年 板に油彩 40x30cm

HISTORY

 20世紀初頭のパリでデビューし、比類のない画家として活躍したマリー・ ローランサン。

 その画風は彼女自身が置かれた状況によって鮮やかな変化を遂げていくのだが、根底に流れるのは、生まれ育ったパリへの愛着と、敬愛する母親と過ごした穏やかな日々への追慕の念である。

 ブラックやピカソ、詩人のアポリネールらと出会い、一躍前衛画家として頭角を顕してきた若きマリーは、当時最先端の芸術運動の一員に数えられながら、しかし自らの資質を見失わない聡明さを持っていた。

 野獣派や立体派などから学ぶべきは学んだ上で、独特の繊細でけぶるような色彩やリズミカルで優雅なフォルムを駆使して、愁いを含んだ瞳の少女を描き、第一次大戦前の佳き時代、エコール・ド・パリと呼ばれる才能の百花繚乱の中で、経済的にも自立した最初の女性画家の一人となったのである。

 その直後の、結婚と第一次大戦勃発による亡命のために、ようやく築いたキャリアも愛する故郷も失くして彷程った時期の作品では、数こそ少ないもののそれまでにない深い痛みと奥行きを見せるようになる。

 これらのかげりは、戦後離婚して懐かしいパリに帰ることで表向き拭われたように見えたが、もともと彼女が持っていた、猛々しく男性的なものに対する嫌悪感をいっそう募らせることになった。

 帰ってきた戦後のパリは1920年代の 狂騒のただなかにあり、マリーの描く優雅さと官能性を備えた美しい女性像は圧倒的な人気を博す。

 また舞台美術や衣装デザインなどの応用美術にも積極的に取り組み、いずれも高い評価を得て時代の寵児となった。

 マリー自身の名声が高まるにつれてその作品に登場する少女たちもふっくらと幸せそうにふくらみ、若い日に切なさを強調していたばら色や青、緑などは、今度はその華やかさを競うようになる。

 特に1920年代の後半からは使う色数も豊かに増して、そして同時に、かつての煌くような憂愁が遠いものとなっていった。

 いずれの時期の作品もそれぞれ見る者の感情を揺さぶってくるが、それは、決して平坦ではない人生を送った画家が自身の魂のための住処を探し続けた軌跡を、その一枚の絵の中に発見するからではないだろうか。

帽子をかぶった自画像 1927年頃 カンヴァスに油彩 41.4x33.5cm